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城跡公園 

 高槻城は南北朝期に姿を見せ江戸期には八丁松原の景観と調和して名城と称えられました。
 城主のなかで高山右近はキリシタン大名で有名です。大坂京に近い城下町は漢詩人藤井竹外ら多くの文人、学者を育てました。
 城の石は明治初期、今の高槻の町に発展する契機となった鉄道(JR)敷設に役立つなど高槻城跡には数々のドラマが秘められています。



東大手門跡

城跡公園



 高槻城跡に位置する城跡公園は、散策、休息などの施設として市民の森および城跡のお堀を模した石垣、 池を中心としたゾーン、野球場などのスポーツゾーンが設けられています。そのほか、歴史民俗資料館や芝生や遊具などを中心とした広場および 交通遊園などが設けられています。


 高山右近の通称は彦五郎。有名な「右近」の呼び名は私的な名で、正式な官位としては大蔵少輔までなっています。諱は友祥(ともなが)、長房(ながふさ)、重友(しげとも)など複数伝わっていますが、どれが主に用いられたかは不明です。因みに、長房の名は嫡男と孫にも付けられています(ジョアン、フランシスコ)。
 洗礼名はポルトガル語で「正義の人」を意味するジュスト(ユストとも)。茶道を究めた右近は南坊と号し、千利休の七高弟(利休七哲)の一人としても知られています。