原爆ドーム・平和記念公園
Atomic bomb dome & peace memorial park



  名勝 平和記念公園

 平和記念公園は、原爆死没 者の慰霊と世界恒久平和を祈 念して開設された。 昭和24年(1949年)の広島平和記念都市建設法の制定に伴 い、平和記念施設事業として記念公園が整備されることとなり、 競技設計の公募に応募した145点の中から1等に入選した丹下健三ほかによる作品に基づき、昭和25年(1950年)に着工、同29年(1954年)に完成した。 公園南端の平和大通りから、広島平和記念資料館のピロティと原爆死没者慰霊碑のアーチを経て原爆ドームへと延びる中軸線上の通視は、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和への願いを確実に表現するものであり、視覚と慰霊の行為を関係づけようとする丹下の優れた空間意匠及び構成の意図が読み取れる。
 公園とその周辺の環境が持つ風致景観は優秀であり、慰霊と平和希求の象徴的な場として芸術上・観賞上の価値及び公園史上の価値が高いため、平成19年(2007年)2月6日に名勝に指定された。

平和記念資料館と国際会議場

 
 現在の平和記念公園となっている場所は、かつて中島本町・天神町・材木町・木挽町・元柳町・中島新町・猿楽町・細工町の8つの町から成り、中島地区と呼ばれたこの一帯は江戸時代から昭和初期にかけて、市内有数の繁華街として栄えた歴史ある街でした。
 被爆前のこれらの町には、1720世帯、5949人がいたと推定されています。1945(昭和20)年8月6日、人類史上初めて投下された原子爆弾は、細工町島病院付近の上空でさく裂しました。地区の住民はもとより、当時この付近で建物疎開作業に従事していた多くの国民義勇隊や動員学徒が犠牲となり、街並みもー瞬のうちに破壊されました。戦後、この地区を世界の恒久平和の願いを込めて、記念公園とすることが計画され、1949(昭和24)年8月6日に制定された「広島平和記念都市建設法」により、平和記念公園として整備されました。
 公園内には、市民や国内外から寄せられた約1200本の樹木が茂り、原爆死没者慰霊碑や多数のモニュメントが設置されています。