福知山城

  織田信長に命じられ、丹波国を平定した明智光秀が天正8年(1580) ごろ、築城した城で戦乱の時代、城主が交代する中、順次整備が進められ、慶長5年(1600) ごろに完成したようです。。市街地を一望する丘陵の先端地にあり、その地形の姿から臥龍城の別名を持っています。
 明治時代のはじめに廃城令で取り壊され、 石垣と銅門(あかがねもん)番所だけが残されていましたが、市民の瓦1枚運動などの熱意によって、3層4階の天守閣が、 昭和61年 (1986)11月に再建されました。天守閣は、 望楼型の独立式を基本として復元され、初期天守閣の特徴がよく現れたものとなっています。

福知山の地図(クリックで拡大)
 石垣は、 築城当初の面影を残すもので、野面積み、乱石積み、穴太積みなどと呼ばれる、自然石をそのまま用いた豪放なもので、 福知山市の指定文化財となっています。
 一見乱雑に見えますが、 石材は奥に長く用いられて、強固な石垣が組み上げられています。
 石垣内部に石塔類が使われるなど、 安土城や二条城など織田信長にかかわるお城に共通する特徴を持っています。
 深さ50m (城郭内湛水井としては日本一の深井戸)の「豊磐(とよいわ)の井」は、今も海抜30mの高さまで清らかな水をたたえています。
 天守閣内部は郷土資料館として公開し、 古代から近代にかけての、城や福知山にかかわる歴史資料を展示しています。