市立美術館 |
市立美術館前から新世界方面 |
通天閣と桜 |
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河底池と茶臼山 |
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「河底池(かわぞこいけ)」は奈良時代、当時の 高級官僚であった和気清麻呂が、上町台地を開削して 大和川を西流し、直接大阪湾に注ぐ工事を行なったもの の、失敗したその名残とされています。 また、河底池のすぐ傍らには5世紀後半につくられたとさ れる茶臼山古墳があります。しかし墳丘の形状も前方後 円墳・円墳などと諸説があり、円筒はにわの破片も認めら れず古墳説は疑問とされています。茶臼山一帯は天王寺 公園の一部として、有料で一般公開されています。 |
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茶臼山は、5世紀ごろの全長200m近い前方後円形 古墳であるという説がなされている。しかし1986年の発掘 調査結果によると、古墳に欠かせない葺(ふ)き石や埴輪 (はにわ)が全く見つからなかった。一方、規則正しい作られ 方をしている盛り土は、堺市の大塚山古墳や御勝山古墳 にも共通していることから、茶臼山が古墳丘ではないとも断 定できず、専門家の間で議論が繰り広げられ、結論が出さ れていないのが現状だ。大阪冬の陣では茶臼山一帯が徳 川家康の本陣となり、大阪夏の陣では真田幸村の本陣と なって「茶臼山の戦い」の舞台となったことはよく知られる。 |
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