天王寺公園の桜 2012年4月7日
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天王寺公園
 明治42年(1909年)に開設された、長い歴史を持つ公園です。
起伏に富んだ園内には、旧住友家の名園慶沢園や茶臼山古墳、
市立美術館があります。 昭和62年(1987年)に開設された天王
寺博覧会を契機に、水と緑をふんだんに取り入れた公園へと一新さ
れました。沈床花壇や小川の小径、水の広場、バラのアーチ、植物
温室など、 見どころも多彩です。


大阪市立美術館
 大阪市立美術館は、市民が優れた美術文化に接する機会を提供し、
生活に潤いをもたらすとともに、美術家の活動を助成し、広く大阪の文
化振興に資することを目的として、昭和11年5月に開館しました。
美術館は天王寺公園の中に位置していますが、その敷地は住友家の
本邸があった所で、美術館の建設を目的に庭園(慶沢園)とともに大
阪市に寄贈されたものです。
 美術館は設立当初の本館と、平成4年に美術館の正面地下に新設
した地下展覧会室からなります。地上3階、地下2階からなり、本館陳
列室では、特別展覧会や常設展示を開催しています。
花見の人で賑わう天王寺公園


市立美術館
市立美術館前から新世界方面



通天閣と桜


慶沢園の桜


慶沢園(けいたくえん)は、1908年(明治41年)から名匠小川治兵衛により作庭された日本庭園。命名は伏見宮貞愛親王。
 住友家茶臼山本邸庭園として、明治41年に木津聿斎の設計、小川治兵衛の作庭により造園が開始された林泉回遊式の近代日本庭園である。大小3つの島が浮かぶ池の周囲の林間を回遊し鑑賞する様式の、全国から名石・名木を集めた広大な庭園は完成までに10年を費やし、完成後間もない1921年(大正10年)に住友家から隣接する茶臼山とともに大阪市に寄贈された。現在は1936年(昭和11年)に園の隣地に建設された歴史主義建築の大阪市立美術館とともに天王寺公園に組み込まれ、一般に公開されている。  



河底池と茶臼山
 「河底池(かわぞこいけ)は奈良時代、当時の
高級官僚であった和気清麻呂が、上町台地を開削して
大和川を西流し、直接大阪湾に注ぐ工事を行なったもの
の、失敗したその名残とされています。
 また、河底池のすぐ傍らには5世紀後半につくられたとさ
れる茶臼山古墳があります。しかし墳丘の形状も前方後
円墳・円墳などと諸説があり、円筒はにわの破片も認めら
れず古墳説は疑問とされています。茶臼山一帯は天王寺
公園の一部として、有料で一般公開されています。
茶臼山は、5世紀ごろの全長200m近い前方後円形
古墳であるという説がなされている。しかし1986年の発掘
調査結果によると、古墳に欠かせない葺(ふ)き石や埴輪
(はにわ)が全く見つからなかった。一方、規則正しい作られ
方をしている盛り土は、堺市の大塚山古墳や御勝山古墳
にも共通していることから、茶臼山が古墳丘ではないとも断
定できず、専門家の間で議論が繰り広げられ、結論が出さ
れていないのが現状だ。大阪冬の陣では茶臼山一帯が徳
川家康の本陣となり、大阪夏の陣では真田幸村の本陣と
なって「茶臼山の戦い」の舞台となったことはよく知られる。


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