東大阪・枚岡梅林
2012年3月13日
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梅林からの遠景
中央の高い建物は阿倍野の建設中の近鉄百貨店


梅林風景


 枚岡梅林は、明治9年(1876年)枚岡神社の氏子でもあった地元有志らが「枚岡教会講社」と称する頼母子講を組織し同社の整備に協力するとともに土地を寄付し枚岡神社の社地と合せ4反たらずの地に梅の木を植えたことにはじまる。
 この梅林は明治14年(1881年)になってさらに近郷の豪農ら60名によって組織された「愛敬社」によって南方の土地9反あまりに新梅園が増設され梅林の広がりと整備とともに風流人など観梅に訪れる人でにぎわうことになった。
この後、大軌(現 近鉄)の援助や神苑保勝会の努力によって立派な梅林として整備されることになりました。
 敷地は、もと枚岡神社の神宮寺の一つ神護寺の跡で現在約2haを測る敷地内(枚岡神社神苑・管理者 枚岡公園事務所)には約500本の紅・白梅等が植えられ観梅時には各地からの行楽客でにぎわいます。